お茶は平安時代に中国から日本に伝わり、長い年月を掛けて、栽培方法・茶葉の製法・茶の湯の作法などが独自の高度な進化を遂げました。
江戸時代には煎茶が庶民にまで広まり、一般的な飲み物として浸透します。当時は鎖国政策をとっていましたが、長崎など4か所を通じて、中国およびオランダとは貿易を行なっていました。
長崎・出島のオランダ商館の医師として来日したのが、シーボルト(1796-1866年)です。彼は日本の自然や文化や産業に強くひかれ、日本人が日常的に飲んでいるお茶にも深い関心を持ちました。
著作『NIPPON』では、「日本における茶樹の栽培と茶の調合」「一般に栽培されている茶樹についての記述」「日本の茶農園の土壌の化学的検査」といった項目が見られ、日本人絵師・川原慶賀らに依頼した図版も添えられています。 ガラスビンに入れた茶葉の実物や、茶の押し葉をオランダに送ることもしました。
当時オランダは、自分たちが飲むためと、ヨーロッパでの貿易のために、植民地であるインドネシアで大規模にお茶を栽培したいと考えていました。そこで、日本の茶の樹の種子をジャワ島に送るよう、シーボルトに命じたのです。
しかし、日本とジャワ島の気候の違いのためか、日本茶の栽培は残念ながらうまくいかなかったそうです。ジャワ島ではその後、中国茶の栽培が成功し、さらに、インドのアッサム地方で発見された新種の「アッサム茶樹」なども導入され、世界でも屈指の紅茶生産地となりました。
シーボルトが送った茶樹の種子が定着し、日本茶の製造法が導入されていたら、ヨーロッパでも緑茶が飲まれていたかもしれませんね。
案外、深むし茶が大人気になって、イギリスのアフタヌーンティーも深むし茶になっていたかも・・・なんて想像しながら、小野園の深むし茶で一休みするのもまた一興です。