江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644~1694年)は、1684年8月から1685年4月にかけて、東海道~中山道~甲州街道を旅し、紀行文『野ざらし紀行』を残しています。
江戸を出発して、東海道を経由して故郷の伊賀上野に帰り、大垣・名古屋・京都などをめぐって、中山道と甲州街道を経由して江戸に戻ってくるという、長い長い旅でした。
往路の東海道では、小田原や駿河、遠江をとおっており、お茶の句を残しています。
馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり
(うまにねて ざんむつきとおし ちゃのけぶり)
これは、掛川に入る手前、金谷の里(現在は島田市)で詠んだものです。
夜も明けやらぬ早朝に宿をたった芭蕉は、まだ目がさめきらず、馬の上でウトウトとうたた寝をしたようです。
と、馬が大きく揺れたのか、ハッと目が覚めました。
まぶたには、たったいま馬の背で見ていた夢が残っていて、遠くには有明の月が見えています。
旅路ならではの早朝の情景です。
するとそこへ、人々が起き出した民家から、朝のお茶を炊く煙が立ち上っているのが芭蕉の目に映りました。
朝、民家から煙が立ち上っていたら、「朝ご飯のしたく」を連想してもよさそうなものですが、「お茶を炊いている」と芭蕉が感じるほど、当時から静岡はお茶大国だったのですね。
おそらく芭蕉は、東海道中でたくさんのお茶畑を見たのではないでしょうか。
このとき民家で炊かれていたお茶は、ほうじ茶や番茶のようなものだったと思われます。
その後、江戸時代中期以降になって、茶葉を蒸すという製法が開発されて人気を集めました。
さらに時代が下り、昨今では、蒸し時間を長く取る「深むし茶」が広く好まれるようになっています。
小野園も、芭蕉が句に読むほどだった東海道のお茶の歴史や伝統を、しっかり受け継ぎながら、深むし茶づくりにまい進しています。
最後にもうひとつ、芭蕉が読んだ静岡茶の句を。
駿河路や はなたちばなも 茶のにをひ
(駿河では、香りの強いタチバナの花ですら、お茶の香りがするようだ。)